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宮澤崇史の母・純子さんとの感動ストーリーまとめ【24時間テレビ絆のペダル】

宮澤宮澤崇史さんは、自転車競技(ロードレース)の北京オリンピック代表であり、ツール・ド・フランスやブエルタ・ア・エスパーニャという世界最高峰のレースを制した当時最強と言われたチーム・サクソ・ティンコフ(サクソバンク)に所属するほど飛び抜けたロードレーサーでした。

チーム・サクソ・ティンコフと言えば、ツール・ド・フランス総合優勝のアルベルト・コンタドールやパリ~ルーベの覇者ファビアン・カンチェラーラが所属していた世界最強チームです。そんなチームのメンバーだった宮澤さんがいかに凄いかがお分かりでしょう!

しかし、その影には、選手生命の死をも意味する母親への肝臓移植とその術後の壮絶な戦いが隠されていたのです。

ここでは、母親との深い絆と、苦難の末に不死鳥の如く復活を遂げた宮澤宮澤崇史さんについてご紹介します。

なお、この感動のストーリーは24時間テレビドラマ「絆のペダル」(日本テレビ系列8月24日(土)21時頃)として放送されますのでぜひご覧くださいね!

https://twitter.com/24htv42drama/status/1157622162510905344

では、さっそく宮澤宮澤崇史さんの少年期の誓いと生体肝移植を通じての母親との強い絆の物語をご紹介します。

母・純子さんの願いと子・宮澤崇史の想いの物語

ツール・ド・フランスに憧れ、ロードレーサーを夢見る少年宮澤宮澤崇史さんとその想いに懸命に答えようとする母親。

そんな強い絆で繋がった二人に最大の試練が訪れます。

母親が原発性硬化性胆管炎に倒れ、生体肝移植をしなければ命に関わるのです。

ロードレーサーとしての選手生命を掛けてでも母親を助けようとする宮澤宮澤崇史さん。それを拒否する母親・・・

二人の人生を掛けた戦いが今始まります。

母親からのプレゼントに隠された想い

宮澤崇史さんは、6歳の時にお父さんを病気で亡くしました。

以来、母親純子さんは事務員をする傍ら宮澤と2歳年上の妙子さんを育てます。

生活は苦しく新品の服など買える境遇ではありませんでした。

しかしそんな母親の苦しい思いも知らず、宮澤崇史さんは中学生のだった時、ツール・ド・フランスに魅了され自転車をねだったのです。

当然、そんな余裕はどこにもありません。

普通の母親なら子供に諦めさせて終わるんでしょう。

でも、純子さんは違います。

何と職場の同僚に頼み込んでマウンテンバイクを借りてきたのでした。

見栄も外聞も気にせず一直線に子供を愛する気持ちが伝わってくるエピソードですよね。

もっと凄いのは、全く走った経験のない宮澤崇史さんをいきなりマウンテンバイクの大会に参加させたのです。

この頃には宮澤崇史さんは、ツール・ド・フランスに出場したいという強い想いが既にあったそうです。

当時の日本人がツール・ド・フランスに出場するなど夢のまた夢の時代です。

そんな無茶な想いに応えたいという純子さんの想いがそうさせたのでしょう。

二人共無茶と言えば無茶ですが、無茶な事に立ち向かうという強い精神はこの事で養われた事は間違いありません。

しかし、宮澤崇史さんもただものではありません。初めて経験するレースで290人中27位でゴール!

この成功体験は大きかったんでしょうね。それ以来、宮澤崇史さんは取り憑かれたように毎日ベダルを漕ぐようになりました。

そしてそれ以来各地の大会に参加するようになったのです。

送り迎えは当然純子さんです。

ひとり親で仕事を抱えならなんですよ。日々の生活さえ大変な中でのその意志の強さはとてつもないものです。実現可能性は限りなくゼロです。

しかし、そんな厳しい環境の中で、子供に夢を叶えて欲しい、母親の想いに応えたい・・・

この親子の深い愛情と絆はこうして作られて行ったのです。

病い倒れた母親への命を掛けたプレゼント

才能に恵まれた宮澤崇史さんの自転車人生は、順風満帆でした。

1995年には世界シクロクロス選手権に出場、1998年には全日本実業団選手権にも優勝。

世界での活躍が期待されるほどの成績を残し始めました。ちょっとツール・ド・フランスに近づいた、そんな時期です。

しかし、2001年、最愛の母親が病に倒れてしまったのです。

病名は「原発性硬化性胆管炎」。

余命は1年~2年と医者に言われるほどの病にむしばまれていたのでした。

命を救う唯一の方法は生体肝移植です。ドナーは近親者に限られています。

手術のリスクは大きく、それだけではなくドナーにも大きな負担を掛けます。

もし、宮澤崇史さんがドナー提供するとしたら、ロードレーサーとしての選手生命が絶たれてしまうそれほどの負担なのです。

ツール・ド・フランスという大きな夢も消え去ってしまいます。

しかし、宮澤崇史さんはドナー提供を即決しました。夢を捨ててまでも母親を助けよう、そんな強い意志を示したのです。

母親の笑顔を見るために続けてきた自転車人生です。母親が死んでしまっては意味はないそう宮澤崇史さんは思うのです。

ですが、これを純子さんは断固拒否します。

純子さんもまた自分の命を掛けて子供の夢を守ってあげたい、そんな真っ直ぐな想いだったのでしょう。

絆が強ければ強いほど対立する二人の想い・・・切ないものですね。

きっと他人には想像もつかないほど凄まじい想いが戦わされたのでしょうね。

そして生体肝移植を懇願する宮澤崇史さんの想いが通じて2001年9月に生体肝移植が実施されたのです。

幸い純子さんは順調に回復しました。

術後の戦いの末につかんだ栄光の日本チャンピオンジャージ

純子さんは無事回復したものの、今度は宮澤崇史さんの壮絶な術後の戦いが始まります。

宮澤崇史さんは生体肝移植で自転車選手として大事な腹筋を切らざるを得ませんでした。この事は選手生命までも断ち切るような大きな出来事です。

術後1ヶ月後から早くも宮澤崇史さんはリハビリを開始しました。

しかし、手術の影響で歩くことさえままならない状態です。全身の筋肉もすっかり失われています。

そんな状態の中、2ヶ月後には一日100kmを走れる前になりました。

しかし、走れれば良いと言うほどロードレースは生易しいものではないのです。

どんな状況であれ、チームに貢献できなければなりません。

宮澤崇史さんはその懸命な努力にも関わらず力を示すことが出来ずについにブリジストンアンカーから解雇されてしまったのでした。

やはり手術に勝てなかったのか、自転車関係者もファンもそう思い落胆したものです。

しかし、宮澤崇史さんは全く夢を諦めていませんでした。

そして、誰もが驚く行動をします。

何とアマチュア登録として単身フランスに渡るという大きな賭けに打って出たのでした。

そして、毎日3時間もの練習で衰えた腹筋を鍛えます。

先が見えない状況、でも、自分を信じたんでしょうね。

それ以上に、手術のために自分が駄目になったと母親に思わせたくない、その強い意志の為せる技とも言えます。

なんとしても自分が復活して母親の笑顔を見たい・・・

その気持だったのでしょう。

そして、その想いがありえない奇跡を生み出したのです。

術後4年経った2008年には北京オリンピックに出場。

そして2010年、宮澤崇史さんはついに全日本選手権のスタートラインに立ちました。

日本人最高の選手を決める夢舞台です。そこには元気になった純子さんの姿がありました。

宮澤崇史さんは母親に優勝を誓います。

コースは200kmの過酷なものでリタイア選手が続出する中、先頭集団に宮澤崇史さんは入ります。

そして最後までもつれる中、執念のラストスパートで宮澤崇史さんは見事日本チャンピオンジャージを手に入れたのです。

母親の夢、そして宮澤崇史さんの強い意志が実を結んだ見事なゴールでした。

親子の強い絆が更に強くなった瞬間でもあります。

164センチと小柄な宮澤崇史さんが誰よりも誰よりも大きく見えました。

その後の2011年、宮澤崇史さんは世界有数のワンデイレース「ミラノ~サンレモ」に出場します。

それは東日本大震災の8日後に行われたレースで、スタートラインには日の丸を手に号泣する宮澤崇史さんがいました。

母親の病気で命の大切さを誰よりも知っている宮澤崇史さんだからこその涙だったのです。

では次に、ドラマ「絆のペダル」についてご紹介します。

24時間テレビドラマ「絆のペダル」について

2019年8月24日(土)の21時頃から日本テレビ系列で、宮澤宮澤崇史さんを題材にするドラマ「絆のペダル」が放送されます。

宮澤宮澤崇史さん役は嵐の相葉雅紀さん、純子さん役は薬師丸ひろ子さんが担当します。

相葉雅紀さんはかなり自転車の練習をしたそうですよ。そのリアルな走り方にも期待ですね。今や母親役をやらせたらこの人以外いないというほどの演技を見せる薬師丸ひろ子さんが、どのような純子さんを演じるかも楽しみです。

ツイッターでは早くも話題になっています。

https://twitter.com/KYOHEI_0228_S/status/1158769813608513537

放送が楽しみですね!

宮澤崇史のプロフィール

1995年 シクロクロス世界選手権(ジュニア)22位

1997年 イタリア留学。ツール・ド・おきなわの市民200キロレースを優勝

1998年 日本鋪道(現NIPPO)に入団

1998年 全日本実業団選手権・いわき大会でも優勝

2001年 母親へ生体肝移植

2001年 日本鋪道復帰。

2002年 ブリジストンアンカー入団

2004年 ブリジストンアンカーを退団。個人登録にてフランスへ。

2004年 国民体育大会・個人ロードレース・成年の部優勝

2006年 ツール・ド・おきなわ優勝

2007年 アジア自転車選手権・個人ロード優勝

2008年 アジア選手権3位

2008年 北京オリンピック86位

2008年 ツール・ド・北海道・個人総合優勝

2010年 全日本選手権ロードレース優勝、日本チャンピオンジャージ獲得

2011年 ファルネーゼ・ヴィーニ – ネーリ・ソットーリ(現:ネーリソットーリ・セッレ・イタリア・KTM)入団

日本チャンピオンとして東日本大震災直後の3月19日のミラノ~サンレモ出場

2012年 当時世界最強と言われたチーム・サクソバンク移籍

2012年 ツール・ド・ピカルディ総合5位

2014年 引退

宮澤宮澤崇史さんは、2001年に母親に生体肝移植しました。

その後、ブリジストンアンカーに入団するも、手術の影響で成績が振るわず退団を余儀なくされてしまいます。

このままレース人生を終わってしまうのか、周囲はそう思わざるを得ないほどの衰えぶりだったのです。

しかし、まさに彼は不死鳥と呼ぶに相応しい不屈の精神の持ち主。

2008年には何と北京オリンピックに出場を果たすまでになりました。

そして2010年には日本のロードレースの最高峰・全日本選手権で見事優勝し、日本チャンピオンジャージを獲得するのです。

より詳しい宮澤崇史さんの活躍については、こちらの記事をご覧ください。

宮澤崇史の自転車現役時代の活躍や成績|解説者としての評判も

まとめ

ここでは、自転車ロードレーサーの宮澤宮澤崇史さんと母親純子さんの命を掛けたからこそ生まれた強い絆についてご紹介しました。

昨今、親子の関係が希薄になりつづあるとも言われています。

しかし、こんな親子もいるんだという事、愛情や絆の大切さを改めて分かって頂ければ幸いです。

そして、来年は東京オリンピックが開催されます。

この二人の話やドラマを通じて自転車ロードレースの楽しさを知り、応援して頂ければそれほど嬉しいことはありません。