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宮澤崇史の自転車現役時代の活躍や成績|解説者としての評判も

宮澤崇史さんは、2010年日本選手権のチャンピオンになり、ミラノ~サンレモなど海外の有名レースにも出場した事がある日本が誇る自転車ロードレース界のエースでした。

引退後はリオモ・ベルマーレ・レーシングチームの監督を務めるかたわら、DAZNのロードレースの解説や講演会など多忙な日々を過ごしています。

モットーは、「夢は叶えるため 命は輝くため 仲間は喜ぶため 人生を楽しく!」

まさにその言葉通りに生きてきた選手なんですよ。

少年時代、ツール・ド・フランスに憧れてその夢をひたすら追い求めました。

選手として全盛期に入ろうとしていた2001年、母親の命を救い再び輝かせる為に選手生命を掛けて生体肝移植のドナーとなります。

そして、それによる大きなダメージを乗り越えて日本チャンピオンとなりました。

また海外に進出すると、アシストとしてチームのエースの勝利を願って懸命に先頭を引きます。

全ては人生を楽しく生きる為・・・

ここではそんな自分の掲げるモットー通り生きてきた宮澤崇史さんの現役時代の活躍や成績、そして引退後の解説者としての評判について書いていきます。

ではさっそく、現役時代どのような選手だったのか紹介していきましょう。

現役時代の活躍と成績について

まずは、宮澤崇史さんが母親に借りてもらったロードバイクで夢に向かって走り出した少年時代から、日本人には困難とも言える世界での活躍をご紹介していきます。

少年時代~ツール・ド・フランス出場を夢見て

宮澤崇史さんがロードバイクレーサーなるきっかけは、少年の頃にテレビで観たツール・ド・フランスでした。

今では、地上波での放送を目にすることのないツール・ド・フランスですが、1990年、NHKでダイジェストとして放送されていたんですよね。

この時代、日本でスポーツと言えばプロ野球一色でした。そんな中、宮澤崇史さんとツール・ド・フランスが出会ったのは奇跡とも言える出来事です。

ツール・ド・フランスって何?ほとんどの人がそのレースを知らない、そんな時代だったんです。この運営の出会いが無ければ今の宮澤崇史さんはなかったという事ですね。

宮澤崇史さんは、ツール・ド・フランスを食い入るように見守ります。

今の時代でも自転車ロードレースを知らない日本人は多いですが、オリンピックやサッカーワールドカップと並び称せられる程のレースです。

一度観たらその面白さに引き込まれる素晴らしいスポーツなんです。

宮澤崇史さんもそうでした。

選手が繰り広げる命がけとも言える白熱したレースを見てこう誓うのでした。

「ツール・ド・フランスに出たい」と。

そして、少年の無邪気な夢とはいえ、この無謀な夢に向かって宮澤崇史さんはベダルをひたすら漕ぎ始めようとしたのです。

問題は、自転車がないこと。

宮澤家は、父親が病気で他界した事もあり、決して裕福ではありませんでした。それどころか日々の生活に四苦八苦するほど貧しい家庭だったんです。

しかし、夢を嬉しそうに語る子供の姿を見て、母親純子さんはその夢を叶えてあげようと考えます。

何と同僚に頼み込んでロードバイクを借りてきたのです。

凄い母親ですよね。

こうして宮澤崇史さんは初めてロードバイクと出会い、人生のロードレースという長い長いツールが始まったのでした。

そのかたわらに母親という最強のアシストを従えながら・・・

このアシストは強力ですよ!

レース経験のない宮澤崇史さんをいきなりレースに参加させるんですから。

しかし、270人も参加した中で宮澤崇史さんは何と27位という素晴らしい成績を収めました。

自転車選手として才能があったということなんでしょう。

もちろん才能だけで成功を勝ち取れるほど世の中は簡単なものではありません。

しっかりとチャンスをつかむこと、それがなければ才能も伸びたりはしないのです。

レースという機会を得て目をみはる成果を出した宮澤崇史さん、そしてその機会を与えた純子さん、この二人の二人三脚があったからこそ後の宮澤崇史が誕生したと言えるでしょう。

まさに神の配剤ですね!

その後、宮澤崇史選手は、毎日ベダルを漕ぐ日々を続け、長野県立長野工業高等学校在学中の1995年に世界シクロクロス選手権(ジュニア)で22位に入る活躍を見せるようになりました。

世界シクロクロス選手権と言えば、ツール・ド・フランス区間優勝をしたラース・ボーム(ルームポット・シャルル)や今年のツールドフランス第10ステージで区間優勝を果たしたワウト・ファン・アールトなど有力なロードレーサーの登竜門とも言える大会なんですよ。

2019年ツール・ド・フランス第10ステージでスプリントを制したワウト・ファン・アールト

それは、ツール・ド・フランスに出るという夢に一歩近づいた瞬間だったのです。

高校卒業後~プロでの成功と2つの試練

高校卒業後の1997年、宮澤崇史さんはイタリアに留学して日本舗道(現:NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ)の名監督大門宏に師事、本場ヨーロッパで経験を積みながらその才能を磨いてきます。

本場での経験ってのは大きいですよね。何より言葉の壁が大きなハードルになりますが、2年間ですっかりとその壁を乗り越えたのはその後の選手生活に大きなプラスになりました。

その成果は直ぐに現れました。

1997年、ツール・ド・おきなわの市民200キロレースで優勝、1998年には全日本実業団選手権いわき大会でも優勝を果たします。

1998年に日本舗道に入団しますが、競輪学校の受験のため3年間の空白期があります。

その方向転換の理由は、本場イタリアで歯が立たず先が見えなかった事でした。

当時ロードレース界はドーピングが当たり前のように行われていてそれに嫌気と恐怖を覚えたのも理由の一つだったと宮澤崇史さん本人が後に語っています。

しかし、幸か不幸か、2回の受験に失敗してしまい、再び日本舗道に戻りました。

挫折を乗り越えてまたツール・ド・フランスへの道を走り始めたのです。

そんな時だったのです、最愛の母親が病に倒れたのは。

競輪学校受験の失敗が第一の試練だとするとこれは第二の試練です。

しかも選手生命に関わる大き過ぎるほどの試練でした。

しかし、迷うことなく母親への生体肝移植を決めました。その後に自転車選手としての苦難が待ち受けている事を知った上で。

この時の話は、平成31年度版・中学三年生の道徳の教科書にも載るほどの愛情あふれる話なんですよ。

そして、2019年8月24日の24時間ドラマ「絆のペダル」でも取り上げられます。

是非御覧ください。

宮澤崇史の母・純子さんとの感動ストーリーまとめ【24時間テレビ絆のペダル】

さて、生体肝移植は無事終わりました。

しかし、その後に待ち受けていたのは想像以上に厳しい現実です。「神は乗り切れない試練は与えない」という言葉がありますが、簡単に乗り切れるような状況ではなかったんです。

生体肝移植後の1ヶ月後には早くもリハビリを始めました。立つことも出来ないほど衰えた筋肉を戻す為です。

思うような行かない日々が続きますが、生体肝移植の為に自分がこうなってしまったのだと母親に後悔させないため、そしてツール・ド・フランスの夢に再び向かうため、懸命な努力を繰り広げました。

その甲斐あって、浅田顕(現:日本代表監督)率いるチーム・ブリヂストンアンカー(現:チーム ブリヂストン サイクリング)に入団する事が叶います。

しかし、手術の影響は殊の外大きく、レースで良いところまでいっても最後に力尽きてしまうのです。

覚悟していた事とはいえ、過酷な現実を目にしました。

そして結果が出せぬままチームから解雇されてしまいます。

悔しかったでしょうね、どんなに努力しても報われないのですから。

オリンピック代表と日本チャンピオン~不死鳥となった宮澤崇史

挫折と屈辱を味わう日々が続きます。

しかし、宮澤崇史さんは決して折れません。

ブリヂストンアンカーの同僚だった福島晋一さんから誘われてタイ合宿にに自腹で出掛けます。

とにかく全力、力尽きるまで毎日走り続けました。

そして、合宿の最終日、最後の峠でもがき、頂上に立った時には足が全く動かなくなったそうです。

精根尽き果てて泣きながら帰ったのだとか。

でも、本人に言わせるとこれが大きなターニングポイントだったそうなんです。

泣いたことで大きく変わったって事ですね。過去を吹っ切って不死鳥が羽ばたき出した瞬間だったのでしょう。

とことん自分を追い詰めて白い灰になってしまう選手が多い中、宮澤崇史さんは見事に蘇ったんですよね。

こうなるともう宮澤崇史さんは誰にも止められません。

2004年には個人登録で国体に出場して優勝します。

そして、その成績を引っさげて、2005年にブリヂストンアンカーに復帰を果たしました。

2006年にはアジアプロツアーの最高峰レースのツール・ド・ランカウイで4日間チャンピオンジャージを保持する大活躍。

そして、2007年北京オリンピックの代表として走るまでになったのです。

その後も活躍は続き、ツール・ド・北海道は、2008年・2009年の2連覇を飾ります。

そして2010年に再びチームNIPPOに復帰、その年の全日本選手権で見事な優勝を飾り、日本チャンピオンジャージを獲得したのです。

2012年のツール・ド・フランスで敢闘賞に輝いた新城幸也や、アムステルゴールドレース・ブエルタ・ア・エスパーニャという世界を代表するレースで活躍した土井雪広(現:DAZN解説者)を破っての会心の勝利でした。

母親の純子さんと、チャンピオンジャージを身にまとう宮澤崇史さん

チャンピオンジャージは日本最高の選手の証です。宮澤崇史さんはこうして日本人自転車選手の頂点に立つのでした。

純子さんへの肝移植後の苦難を乗り越えてから実に9年の歳月が流れての大勝利です。

2011年、UCIプロツアーにも度々出場するファルネーゼ・ヴィーニ=ネーリ・ソットリ(現:ネーリソットーリ・セッレ・イタリア・KTM)に移籍、ついに海外へ本格的に進出したのです。

このチームで、有名なワンデイレースのミラノ~サンレモに出場しました。

それは2011年3月19日の事でした。

そう、あの東日本大震災の8日後のレースだったのです。

多くの世界的スター選手たちによる黙祷が行われたそのレースの中心には日の丸を手にした宮澤崇史がいました。

2012年、宮澤崇史さんはチーム・サクソバンクに移籍しました。

チーム・サクソバンクと言えば、ツール・ド・フランスで総合優勝したアルベルト・コンタドール、アンディ・シュレク、カルロス・サストレ、世界選手権に勝利したペーター・サガン、パリ~ルーベの覇者ファビアン・カンチェラーラなどきら星のようなスター選手が所属した世界でもトップクラスのチームなんですよ。

サッカーで言えば、バルセロナやレアルマドリードのような存在と言えば分かりやすいでしょうか。

そんなチームに所属する事自体が凄いことです。

そして2014年、宮澤崇史さんは多くのファンに惜しまれつつ引退しました。

監督としての宮澤崇史さん

宮澤崇史さんは引退後の2015年、リオモ・ベルマーレ・レーシングチームの監督に就任します。

目標は、「世界で羽ばたく選手を育成する」事。

宮澤崇史さん自身は、子供からの夢「ツール・ド・フランスに出場する事」がついに叶いませんでした。

その夢を後輩の選手に託したという事なんでしょうね。

チームは、2017年にやいた片岡ロードレースでプロツアー初優勝を飾るなど少しずつ結果を残すようになりました。

国内初の成功報酬制度を導入するなど宮澤崇史さんらしいアイデアでチームを盛り上げています。

いつか、ツール・ド・フランスで活躍するような選手を育て上げてほしいですし、どんな選手よりも挫折を知る宮澤崇史さんならそれが出来るのではないか、ファンは大いに期待しています。

解説者としての宮澤崇史さんの活躍と評判について

監督業のかたわら、宮澤崇史さんはDAZNで解説を担当しています。

写真からはおちゃらけているタイプに見える宮澤崇史さんですが、その解説はとても理論的なんですよ。

そして自転車の乗り方や選手の特徴など細かなところまでしっかりと解説してくれます。

試合展開を見る目も確か。

この後どんな展開でレースが進むのかを見事に言い当てたりします。

丁寧に話してくれるので、初心者にもとても分かりやすいんですよ。

もう一つの特徴は、度々料理やワインの話が出てくることです。

奥様の花菜子さんが料理ブローがだという影響もあるのかもしれません。

レースの舞台の美味しいものの話では他の解説者を寄せ付けない程の知識の豊富さ。

長時間放送されるレースの解説では、そんな雑談も時に求められます。

様々な話題で観るものを飽きさせない宮澤崇史さんの解説を楽しみにしている人も多いんですよ。

ぜひ試合を観ながら彼の解説を聞いてみてください。

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宮澤崇史さんのご家族について

宮澤崇史さんは2011年、33歳で料理ブローの花菜子さんと結婚しました。

とても美しい人ですよね。

夫を支えるためにイタリアに住み、栄養面のサポートをしていた陰の功労者なんです。

お子さんはいないようです。

ところでそんな夫唱婦随だった二人ですが、ネットを検索すると「離婚」という文字が目に入ってきます。

なんでだろうと調べてみるとどうやらその原因は、Facebookのプロフィールにあるようです。

家族欄が空欄になっているのです。

また、奥様の料理ブログが2016年を最後に閉鎖されたのも憶測を呼ぶ事になりました。

宮澤崇史さん本人も家族のことを口にしなくなったのも憶測に拍車をかける事になったのです。

真相は明らかではありません。

そのうち本人の口から何か語られるかもしれませんね。

夫婦の事は誰にも分からないものです。そっとしておいてあげましょう。

まとめ

ここでは、宮澤崇史さんの少年時代からの選手としての活躍と引退後に監督と解説者としての評判について書いてきました。

母親への生体肝移植という大きな決断は人として素晴らしいことですよね。

簡単に真似が出来る事ではありません。

しかし、何より宮澤崇史さんの凄いところは挫折に正面から立ち向かって日本チャンピオンジャージを獲得するまでになった事です。

誰しも人生の中で幾つかの大きな挫折を目の当たりにするものなんだと思います。

そして、その挫折に押しつぶされてしまう人も多いでしょう。

でも、宮澤崇史さんを見ていると、挫折の先に何よりも大切な事があるんだと気づかせてくれます。

ロードレースは人生を観るようなスポーツとも言われます。だからこそ人は自分の人生を思い描きながら熱狂するのでしょう!

長い長い道のりで何度立ち止まってしまおうと思うことがある事でしょう。

それでもその先にある栄冠を求めて選手はもがきます。

失敗が脳裏によぎろうとも、必死に前に前に歩を進め、優勝という栄冠を手に入れようとするのです。

今苦難に立ち向かっている方、目の前に大きな壁があると感じている方、そんな方にこの宮澤崇史さんの生き方は大きな参考になるのではないでしょうか。